学歴コンプなんか捨てようと思う。

この記事は、ごく最近まで学歴コンプという一種の病気に煩悶していた損額が、それを捨てるに至るまでの話である。

 

 

中学までの話

 

ここでは学業に関してはあまり書くことがない。私は町内最強の頭脳を持っており、右に出る者はたぶんいなかった、とだけ言っておく。

 

それよりも重要なのは、私が多くの習い事をしていたということである。ピアノ、野球、水泳に毎週通い、学校で合唱と陸上をやった。これらは全て自分の意志で始めた。したがって(完全に精神を殺しに来た中学野球部は例外として)積極的に参加したのは言うまでもない。はいここ伏線、古事記にもそう書いてある。

 

 

高校の話

 

しかし振り返ってみると、私は進路については、消極的な選択をするばかりだった。進学する高校を選んだ理由は、県内で一番賢い高校だから、それだけである。この高校に入ったらこれをやりたい、などという意識高い高〜いばぶぅな考えはなかった。

 

いよいよ志望する大学を決めねばならなくなった。私は幼稚園の頃から、自分はきっと京大に行くんだぜという冗談をかましていたが、それが現実味を帯びてきた。でも行って何をするのかまではちゃんと考えていなかったし、これも消極的選択である。

 

ところが3年の夏だか秋だかに、志望校を変えることになった。原因は2つ。一つは教師に、君なら東大に行けるんじゃないかと唆されたこと。もう一つは、周りにも京大を受けようとする輩が多かったこと。田舎町最強の頭脳が尊大な羞恥心と臆病な自尊心を発揮し、自分はこいつらと一緒にされたくないなどと嘷を成したのである。そう、これも消極的選択である。

 

 

大学受験と浪人の話

 

こんな状態で勉強に本腰が入るわけもなく、東大理科一類には案の定落ち、そのままの流れで浪人することになった。

 

予備校に行ったからといって、モチベーションが上がるわけでは決してない。ここでも東大志望ではあったが、上記の通りくだらない理由により、やはり勉強する気にはなれなかった。自分が大学に行く意味がわからないと担任に相談したが、いいからとりあえず行ってみてから考えろとゴミを見るような目で言われ、まともに取り合ってもらえなかった。

 

最終的には志望校を京大に変えた。まあいくら田舎町最強の頭脳とはいえ、日本最強の頭脳ではなかったのである。ところで志望学部は工学部だった。なぜかというとただ「比較的興味があるのが工学なんじゃないかと思った」からである。とにかくこの時期の損額は塊だった。確固たる意思のない消極性の塊だったのだ。

 

これは半ば当然、半ば意外なのだが、京大にも落ちた。さて後期受験はどうしようということで、選んだのは北海道大学である。理由は「旧帝大後期で工学部があるのが北海道大学だけ」だからである。アホである。

 

 

学歴コンプと仮面浪人の話

 

今になって冷静に分析すれば、私がなぜ学歴コンプに陥ったかは至極単純である。他に取り柄がなかったのである。打ち込める趣味なんてアニメくらいしかなかったし、興味がある分野もなかった。

 

臆病な自尊心と尊大な羞恥心はここでも邪魔をしてきた。純粋に北海道大学での生活を楽しめれば良かったのだが、そうはい神崎。浪人時代から芽吹いた学歴コンプは満開を迎え、私は再受験を決めた。でも志望校は東大ではなく京大だった、じゃないと受からないもの。もういろんな意味で消極的である。

 

これも落ちてしまったので、まだ少しコンプを拗らせながらも、諦めて北大に居残ることにした。

 

 

学部の話

 

2年生になり、学科専門の講義が始まった。しかしあまりにもつまらなかった。興味が持てそうだ、少しは面白そうだと愚かな考えに至った昔の自分を拳で殴ってやりたかった。それと教員が気に食わなかった。いろいろ言いたいことはあるが、とにかく哲学的素養が欠けていた。嗚呼、准教授が専門バカを体現する也。とにかく工学部なんかさっさと出ようと決めた。

 

でもどこへ行こう。当時の私は経済学に興味があった。少しだけ。だからそれを学んで高尚な研究者にでもなってやろうと考えた。私はどこか一般大衆を見下していたから、誰でもできるような仕事はしたくなかったのである。

 

 

趣味と仕事の話

 

しかし3ヶ月ほどでやめた。何故か。端的にいえば、損額は研究職に向いていないからである。

 

これは、ある人と趣味と仕事の違いについて話したことが契機である。そこで私なりの考えがまとまった。今ある知の宝庫を享受するだけが趣味、新たな知を創り宝庫に提供するのが仕事である、と。確かに私は学業成績は良かった。ただ、研究して新たな知見を得ようとなどということはこれまでしてこなかったし、不得意なのだ。どう考えても自分は知を享受する側の木偶の坊だった。たしかに経済学に興味を持ったのは間違いないが、きっと趣味の範疇を超えようもなかった。

 

では自分は何を仕事にしたいのかと考えてみた。ところで、中学を卒業してからも浪人生まで続けた習い事が、ひとつだけあった。ピアノである。さらに私は、大学に入ってから少し作曲を齧っていた。ここでようやく気付いたのである、自分は音楽が本当に好きなのだと。ならば、音楽を仕事にしてみようか。作曲しては、新たな音楽の分野を切り拓くのである。確かにこれは誰にでもできる仕事ではなかろう。ついでに、幾度となく損額の心を支えてきたアニメ業界に恩返しができれば最高である。そう考えた途端、ワクワクが止まらなかった。ワクワクシークヮーサー

 

 

今後の話

 

親が電話で「何かやりたいことはないのか」と聞いてきたので、冗談半分に、しかし正直に「そらあ音楽や」と答えた。意外にも親はこの言葉をちゃんと受け止めてくれ、そこから話は急速に進んだ。

 

私は今年度で北海道大学を辞め、どこかしらの音楽大学に行くつもりである。側から見たら愚かな決断かもしれない。一度北大を卒業してからでもいいのでは、何度かそう言われた。しかし、卒業するまでの2年間すら惜しいのである。こんなワクワクした心持ちで、2年間も待てるはずがなかろう。

 

極端な話だが、世界で活躍する野球選手大谷翔平に対し「でもお前高卒じゃん」などとマウントをとる人はいないだろう(いないと信じたい)。世の中には色々な尺度があっていいのである、学業成績とか学歴とかなんて、その一つに過ぎないのだ。とにかく、今まで進路に関して消極的な選択しかしてこなかった損額が、初めて積極的な決断をするのである。その時、私は学歴なんてどうでもよくなったのである。むしろ、高学歴の同級生を芸術で見返してやろうとまで思った。

 

学歴コンプは、たった一つの積極的選択によって消され得るのであろう。

 

 

あとがき

 

将来の夢を赤裸々に語るのはなんだかきまりが悪いが、こうして文字に起こして発信することで、自分のモチベーションが上がることも期待できるのではなかろうか。

 

ちなみに、2018年夏に放送された、はるかなレシーブという作品は内容もキャラクターも雰囲気も、そして音楽も素晴らしい。アニソン作曲家になりたいという熱情を待つ私の背中を押してくれた。なので誰がなんと言おうが、これは不朽の名作である。実はワクワクシークヮーサーも伏線だったのだ。

 

最後に、ここまで読んでくれた諸兄諸姉は聖人か何か?