あの日の話

私にとって特別な日は2011年の3月11日であって、2019年の3月11日は至って普通の日である。

しかし今年もこの日付がやって来たから、簡潔だが当時の話をしようと思う。

 

中学2年生の私は、校庭で部活動をしていた。そこに、震度6強地震が襲ってきた。部員たちは校庭の真ん中に集まった。体育館の壁が剥がれ落ち、隣家の鉄骨がしなっていた。

 

5分ほど揺れたと思う。収まった後、近くの高台に避難した。そこで私は、津波を目撃したのである。黒い水が、街を侵食していくのだ。鳴り響く踏切の音と、いつの間に降り始めていた雪とが、恐怖を際立たせた。私は茫然と非現実的な景色を眺めるより他になかった。

 

それから、校舎に戻って暖をとっていると、親が迎えに来たので帰宅した。頑丈な我が家は傷一つなかった。しかし水も電気も絶たれていたので、夕方には避難所となっている公共施設に移動した。部活の練習着姿のまま、一夜を過ごした。

 

 

翌朝になると、人々は慌ただしい様子であった。避難指示が出たらしい。「なんか大変なことになったね」、それが友人と交わした最後の言葉であった。私は隣町に避難した。

 

避難所ではテレビがついていたので見ていた。ただそれだけでは飽きるので、気分転換に散歩に行った。すると、近隣の住民の方が声を掛けてきた。服をお貸ししますと言うのだ。スポーツウェアのままだった私を見かねたらしい。私はお言葉に甘えることにした。そして、セーターとジーパンに着替えた。

 

2日後、私たち家族は、親戚の家に身を寄せることにした。避難所を出るとき、服を貸してくださった方に、親が「この恩は一生忘れません」と感謝を述べていた。何を大げさな、と当時は思ったが、実際忘れることのできない出来事だったのだ。

 

ジーパンは無くしてしまったが、セーターは今でも、箪笥の中に大事にしまっている。